連日、東北大震災の報道を聞いていて実感したことを、その思いが強いうちに書いておきます。
次のリンクはシリコンバレーの日本語ニュースサイトの記事です。
ニッポンは大丈夫だ
つい先日のアラブ諸国の民主化運動ではTwitterの力をまざまざと見せつけられました。震災でも被災者が地震直後にツイートした記事が地震のすさまじさをリアルタイムに伝えています。もちろん最大の驚異、そして脅威は大自然の力です。それと同時に感銘を受けたのは、Googleなどにより新しいサービスが数日の内に実用化され投入されていく速度でした。携帯電話で被災者名簿の写真を撮り、ネットで共有するなど、おそらく誰もが気づくような簡単なアイデアなのでしょうが、それが実用化され、苦しんでいる人を救う、というところにテクノロジーの力を見せつけられた気がします。
その一方で、科学リテラシーの欠如、科学教育の重要性も思い知らされました。福島第一原発の事故に端を発した風評で、アメリカでもヨウ素剤が売り切れたという話です。冷静に考えれば日本の事故で遠く離れたアメリカで体に害がでるレベルの放射能が来るはずがないとわかると思うのですが、目に見えない恐怖が人の理性を狂わせているようです。
私のような基礎科学者は残念ながら技術を使って、その場で苦しんでいる人を救うことはできません。せめて正しい知識を、信頼できる情報源として公開することができれば少しでも救いになるでしょう。このブログもそのような形で世界に貢献できるように少しずつ努力していければと思っています。
テクノロジーの進歩を考慮に入れれば、1971年に営業開始した福島第1原子力発電所に技術的な問題点が残っているのはやむを得ないことです。周囲の人々には大変な恐怖があると思います。しかし、日本の電力の三分の一を原子力が担っていることを考えれば、今すぐ原子力発電を停止するというのは非現実的な選択肢です。実際関東の計画停電が与えている影響は甚大です。より進んだ技術を使って原子力をより安全な方向に発展させていくことこそ今後の日本の方向性だと思います。
最近は、節電で原発なしでやっていけると言う議論もでてきています。技術の方向も必然性はなく、人間社会も、欲望の量と質によって決まり、その量と質は、しばしばマスメディアの背後にある盲目の政治意志によって決定される気がします。「計測と制御」の父親
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